「子どもの感性って、どう育てればいいんでしょう?」ピアノ教室に通う保護者の方からよくいただくご質問です。
そのヒントのひとつとして、前回の記事では、《興味の糸をたぐる》ことを通して、芸術文化に自然と親しんでいく過程についてお話ししました。
今回はその続編として、近年、教育現場でも注目されている「文化資本」というテーマについて、私自身の視点からお話ししてみたいと思います。
※「文化資本」という言葉は、本来は社会学の中でより厳密に定義されている概念ですが、ここでは私自身の体験を通じて、もう少し広い意味で使っています。
実は私自身、この言葉からは、どうしても教育格差や経済格差といった背景が思い浮かんでしまい、無意識のうちに距離と置いていたように思います。
多くの人にとっても、「文化資本」という言葉は、圧倒的に恵まれた文化的環境で育った人に出会ったときに、自分との違いを実感するような場面で語られることが多いのではないでしょうか。
たとえば
• 幼い頃から海外経験が豊富で、語学が堪能
• 両親が音楽や美術に親しみ、日常的に質の高いものに触れていた
• 本棚には世界文学全集や画集が並び、高価な楽器や教材に惜しみなく投資されていた
• 家族全員が高学歴
こうした背景には、たしかに経済的な豊かさがあることも多く、「自分とは違う世界だ」と感じてしまう方も少なくないかもしれません。
けれど私は、こうした目に見える条件だけでなく、文化との出会いや蓄積がもたらす感性の豊かさ──そういった「文化的な素地」こそが、人を内側から支えてくれる力になると感じています。
「量」をこなすことが、感性を育てる
私自身、音楽を通して「良質なものに触れ、それを見極める力を育てる」ことの大切さを実感してきました。
そのためにまず欠かせないことが、「量をこなすこと」だと思います。
ピアノに限らず、さまざまな楽器の演奏を聴くことが大切です。できれば生演奏に触れる機会を多く持ち、知識を深めていくことが、判断力を育てる近道だと感じています。
最初はよくわからなかったり、あまり興味が持てなかったものでも、数を重ねていくうちに自然と耳が育ち、「自分なりの基準」ができていきます。
子どもの文化環境をどう育てていくか
「子どもにどんな文化的環境を与えればよいでしょうか?」というご相談をいただくことがあります。
私が大切だと感じているのは、親自身が文化を楽しむ姿を見せることです。
身近な体験や人から学べること
また、身近な人の中で、「この人は文化的に豊かな感性を持っている」と思う方がいれば、その人がどんな環境に育ち、どんな体験をしてきたのかを聞いてみるのも参考になります。
多くの場合、親や友人などの影響も大きいと言われます。
経済的に恵まれた環境で育った方には、特別な体験があることも多いですが、意外と誰でも真似できる工夫や習慣を聞けることもあります。
一方で、経済的な条件に関係なく、自力で文化的教養を深めてきた方の話にも、深く学ぶものがあります。
偉大な作曲家の中には、上流階級に生まれた人もいれば、貧しさの中から才能を育んだ人もいます。それぞれの人生を見ていくと、経済的な豊かさが、感性の豊かさと必ずしも比例するわけではないことがわかります。
芸術家の人生に学ぶ
芸術家のエッセイなどには、人生を通じて芸術とどう向き合ってきたかが綴られており、感性の育て方を考える上で多くのヒントがあります。
たとえば、岡本太郎は大変裕福な家庭に生まれ、その恵まれた環境で才能を花開させましたが、北大路魯山人は苦労の多い幼少期を経て、独学で独自の美の世界を築いた人です。
どちらも強烈な美意識を持ち、その批評や表現が多くの人の心を動かしてきました。
京都に息づく文化の中で
「文化的な感性を育む機会」は、住んでいる場所によっても差が出ると言われます。
その点、京都はまさに日常生活の中に文化が息づいている場所ですよね。
暮らしているだけで、自然と多様な芸術や歴史に触れることができる──それはとても大きな財産だと思います。
私は京都に住んでまだ8年ほどですが、いまでも日々、その奥深さに感動しています。
最後に
「文化的な素地」は、特別な家庭に生まれなくても、自分の中で育てていくことができます。そしてそれは、人生を豊かにする大きな財産になるのではないでしょうか。
楽器を習っていなくても、音楽を楽しむことはできますし、ただ習っているだけで文化的な感性が育つわけでもありません。
しかし、ピアノを通して、良質なインプットと表現としてのアウトプットを循環させていくことができれば、「ピアノを習う」という体験は、大きな意味を持つものになるはずです。
小さな一歩でも、日々の中で文化に触れる時間をぜひ大切にしてみてください。